• 箱根八里

    • 慶長6年(1601)、徳川家康が東海道の要地に宿駅を設置し、交通制度を整備したことから、東海道は東西を結ぶ交通の大動脈として発展することになります。以後、各地に宿場が続々を誕生し、寛永1年(1624)になると、江戸~京都間に53の宿場が誕生しました。これがいわゆる「東海道五十三次」です。
      中でも、小田原宿~三島宿間(約32km)は、途中、東海道きっての難所である箱根山を擁することから『箱根八里』と呼ばれています。
      箱根山を越える坂道は、箱根峠から西側を「西坂」、峠から東側を「東坂」といい、どちらも急坂の連続でした。雨が降ると膝まで没するほどの悪路となったため、当初は群生していた箱根竹を敷き詰めましたが、耐久性の問題から、後に西坂および東坂とも石畳による舗装が施されました。この一部が現在でも残っており、国指定史跡になっています。
      なお、急坂の多くには「女転し坂」、「猿滑坂」など往時の苦難を偲ぶ名称がいくつも付けられています。とりわけ東坂にある橿木坂(かしのきざか)は特に厳しかったようで、東海道名所日記によると「けわしきこと 道中一番の難所なり」と紹介され「橿の木の坂をこゆればくるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」と記されるほどでした。
      まさに苦難の連続。一歩間違うと命の危険にさらされる状況であったようです。そんな難所もいまでは麓から峠までハイキングコースが整備されています。
      参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球使節団やオランダ商館長など、名だたる旅人たちも往来した『箱根八里』には、歴史や地勢、文化的背景など、まちづくりの基礎となった旅の記憶がしっかりと刻まれています。

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