★2021修正16 コンドルたちのつくった東京

タイムトラベル明治大正の東京

はじめに

  • サイト概要

    主催:株式会社バリューリソース・デザイン


    コンドルたちのつくった東京

    東京は世界で有数の都市建築を誇ります。しかし残念ながら、ロンドンやパリと違うところは、地震国であるゆえに、歴史的建物がほとんど今に残っていません。武家屋敷と町人の居住エリアに分かれていた江戸時代の東京は、明治になると建築の材料や工法も、また交通インフラもそれまでとは全く異なる状況の中で、新たな都市づくりに挑みます。その中核を担った人物がジョサイア・コンドルと言えます。コンドルによる建築物だけでなく、その後の日本の都市づくりを担った日本人建築家が多く育ちました。コンドル本人と初期の弟子たちや、コンドルが私生活でも日本文化を愛した姿をたどります。


    サイトの見どころ

    江戸~東京の大きな時代の流れ、変貌を各古地図の比較でつかんでみてください。まず江戸末期の蔓延図で描かれた東京は、武家屋敷エリア、寺社エリア、町人地エリアで構成されていました。それが明治維新後、武士階級が無くなり、廃藩置県によって、広大な武家エリアが役所や公的機関、また学校等の教育機関、そして軍の施設、さらに鉄道や道路が出来ていきます。そこに登場したのが、ジョサイア・コンドルです。それまでの木造中心の街づくりが、コンクリートや鉄筋、レンガ造りの街に変わります。そのような日本の街づくりが、コンドルとその教え子たちによって始められます。
    ポイントにある施設は、その後、関東大震災や東京大空襲を経て、奇跡的に残った施設と言えます。中には、東京都以外に移築されて保存されているものもあります。


    関連するサイト

    東京古地図展

    *この「コンドルたちのつくった東京」に用いたプラットフォーム
    https://www.tsunagaru-map.com/pf-tokyo/


    歌川広重の名所江戸百景

    *江戸末期の東京の街が浮世絵で楽しめます。
    https://www.tsunagaru-map.com/edo100/


    博物館明治村

    *明治時代の貴重な建築遺産を確かめることができます。
    https://www.meijimura.com/


    江戸東京たてもの園

    *明治時代の貴重な建築遺産を確かめることができます。
    https://www.tatemonoen.jp/

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    本ラボ・サイトでは、下記地図の全部または一部を使用しています。

    • 江戸以前 1600年以前

      江戸関係文献/菊池山哉・五百年前の東京(批評社)/江戸の開府と土木技術(江戸遺跡研究会編/吉川弘文社)/江戸図屏風(諏訪春雄、内藤昌編/毎日新聞社)にランドサット情報を加味した想像図
      ※株式会社ユニバーサルデザイン総合研究所 制作
    • 江戸初期 1644年頃

      正保年中江戸絵図
      ※国立公文書館デジタルアーカイブ所蔵
    • 江戸末期 1860年頃

      江戸図 萬延
      ※国際日本文化研究センター所蔵
    • 明治初期 1880年頃

      国土地理院 旧版地図
      ※国土地理院所蔵
    • 明治中期 1882年頃

      迅速測図
      ※出典: 農研機構(http://www.finds.jp)
    • 大正後期 1920年頃

      国土地理院 旧版地図
      ※国土地理院所蔵
    • 昭和初期 1930年頃

      国土地理院 旧版地図
      ※国土地理院所蔵
    • 昭和中期 1955年頃

      国土地理院 旧版地図
      ※国土地理院所蔵
    • 現代地図

      国土地理院、オープンストリートマップ(OSM)

      ※本ラボ・サイトでは、上記地図の全部または一部を使用しています。
      ※使用している旧版地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万分1迅速図及び1万分1 地形図を複製したものである。
      (承認番号 平27情複、 第457号)

    この時代の背景

    江戸後期について

    18世紀になり、徳川吉宗は幕府権力の再強化と財政再建(享保の改革)を推し進めます。しかしその後も体制維持と財政再建の取り組み(寛政の改革や天保の改革等)は行なわれますが、成功にはほど遠いものでした。 この頃に町人を中心とする化政文化が花開きます。一方では、社会各層での貧富の拡大と身分制の流動化を起こしながら、幕藩体制はいよいよ動揺していきます。 その後も、黒船来航と日米和親条約締結による開国を契機として、不平等な外国との条約を締結してしまい、幕府の威信は低下します。反対に朝廷の権威が増大することになり、幕府は大政奉還により権力の温存を図りますが、倒幕派の薩摩藩、長州藩、土佐藩らとの内戦(戊辰戦争)に敗北後、政権は瓦解します。 江戸時代は文化の担い手が庶民にまで拡がり、歌舞伎、俳諧、浮世絵、お陰参りなどが盛んになったほか、寺子屋や藩校で広く教育が行われます。

    明治時代前半について

    倒幕派の諸藩を中心とする維新政府は、王政復古により明治新政府を樹立します。新政府は岩倉使節団の世界視察に基づいて欧米の諸制度を積極的に導入しました。明治維新と呼ばれる一連の改革は、廃藩置県、四民平等化、六法・郵便・鉄道・水道等の整備にまで及びます。その過程で、欧米から新たな学問・芸術・文物が伝来し、その様子は文明開化と呼ばれました。従来の日本の文化や芸術、思想を低く見て、西欧に価値を置きました。 まさにその頃、「お雇い外国人」と呼ばれる西欧の人々が、日本の近代化に必要な先進技術や知識をもたらすために、来日しました。彼らの多くは、日本滞在を通して日本人に海外の生活習慣を紹介し、また反対に日本の文化を海外に紹介する役割を果たします。 そして注目すべきは、その中に日本の芸術や文化の価値に、いち早く注目した「お雇い外国人」が現れたことと、近代日本の礎をつくることになる「日本人人材」を多数育て、初期に育った日本人その後の日本の文化・芸術人、工学や技術人を創り出していったことです。「お雇い外国人」が一方的に日本人を育て上げたのではなく、日本人とコラボして生んだ東京、日本がそこにはあります。

TSUNAGARU-MAP