★2021修正01 沖縄本島の重ね地図展

沖縄本島のツナガルマップ

はじめに

  • 沖縄本島の重ね地図展概要

    主催:株式会社ユニバーサルデザイン総合研究所

    古地図展の見どころ
    それぞれの時代地図で、その沖縄が誰に統治されていたのかが一目でわかるというのが沖縄です。 まず、三山時代を統一した琉球王朝期の古地図は、日本の中でも最も早くヨーロッパから測量技術が入ってきて作成されたものです。「正保年間琉球図」でも、また間切集成図と呼ばれる「琉球国惣絵図」も、その精度は、他の日本国内の藩の古地図に比べより正確に測られたと思われますし、古地図の中の地域名称も、また幹線道路も良く描かれています。なお間切りとは明治40年まで続いた琉球時代の行政区名です。 そして明治になると廃藩置県によって、琉球も日本国の1県として統治されます。さらに太平洋戦争で日本が敗れてからは、米国の統治によって地図測量も表記も米国に従います。 そして1972年の日本復帰を迎えます。 米国統治時代には、一方的に県民の土地を接収し、軍事施設をつくっていった様子。また日本復帰後は、沖縄本島の背骨とも言える「58号線」の開通とその後の沖縄高速道の完成による「列島の改造」が沖縄を大きく変えていく背景が見えてくるでしょう。

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    • 1640年頃 王朝初期

      正保年間琉球図
      ※島津領国絵図 正保琉球国悪鬼納島絵図写 東京大学史料編纂所所蔵
      江戸時代、幕府が諸大名に命じて諸国ごとの地図を作製させ、提出させたものが国絵図です。慶長、寛永、生保、元禄、天保の5回にわたって測量が行われたということで、生保国絵図(1644年〜)では初めて縮尺が2万1600分の1(六寸一里)に定められたそうです。これによって地図の全国的な統一化が進みました。現本となる「正保琉球国悪鬼納島絵図写」は「島津領国絵図」に所載された6枚のうちの1枚で、「島津領国絵図」は平成14年度に国宝に指定されています。東京大学資料編纂所の所蔵です。
      参考:『琉球・沖縄の地図展』沖縄県立博物館・美術館、東京大学資料編纂所(所蔵資料目録データベース)、別冊歴史読本事典シリーズ『江戸時代「古地図」総覧』新人物往来社
    • 1770年頃 王朝中期

      琉球国之図+琉球国惣絵図(間切集成図) 合成版
      ※琉球国之図(薩摩藩調製琉球図) 沖縄県立図書館所蔵
      ※琉球国惣絵図(間切集成図) 沖縄県立博物館・美術館所蔵
      琉球国之図(18世紀末頃)は、伊平屋・伊是名島から沖縄湯、慶良間諸島、久米島付近までの範囲が間切(行政区分)ごとに色分けされて描かれています。1737〜1750年にかけて首里王府が行った乾隆(中国・清の年号)検地の成果に基づいて製作された「琉球国之図(1796年製作、尚財団所蔵)」など、王府による国土の俯瞰図(ふかんず)を製作した一連の絵図だと考えられています。琉球国惣絵図(間切集成図)は、琉球王国内の隣り合ったいくつかの間切や周辺の離島を部分的にまとめた絵図です。この絵図には、各間切とは別に首里・那覇・泊村・久米村が色分けされています。これらは現在、那覇市の一部ですが、王国時代では、首里は王国の中心地、久米村は貿易を担う役人の居住地域というように他の間切と異なる地域だったそうです。琉球国之図(薩摩藩調製琉球図)は沖縄県立図書館所蔵、琉球国惣絵図(間切集成図)は沖縄県立博物館・美術館所蔵です。
      引用:『琉球・沖縄の地図展』沖縄県立博物館・美術館、沖縄県立博物館・美術館HP
    • 1920年頃 大正後期

      大正後期/国土地理院 旧版地図
      国土地理院所蔵の2万5000分の1の地図です。1919(大正8)年に沖縄本島南半部、その他の地域のほとんどが1921(大正10)年に測量された地形図です。沖縄県はにほ日本の最南端に位置する沖縄県の地形図は、一部の離島を除いて軍事秘密として厳重に管理され、一般に出回ることはなかったと言います。それが、終戦直後の混乱期に日本の復興に地図類が不可欠だと考えた関係者が密かに参謀本部の地下室から持ち出した貴重な地図の一部だという伝説があるそうです。沖縄には現在、鉄道はありませんが、大正時代には、沖縄本島南部に沖縄軽便鉄道、電気軌道、沖縄馬車軌道、糸満馬車軌道の4つあったということです。
      参考:『大正 昭和 琉球諸島地形図集成』解題/清水靖夫・浅井辰郎・小林茂・安里進 著/発行:柏書房
    • 1945年頃 米軍司令部

      米軍司令部作成地図
      ※米軍司令部作成地図 沖縄県立博物館・美術館所蔵
      沖縄本島中部の米軍司令部にあった地図で、主要な道路が数字で示されています。個人の所蔵です。
      引用:『琉球・沖縄の地図展』沖縄県立博物館・美術館
    • 1959年頃 米国統治

      米軍作成地図
      ※米軍作成地図 沖縄県立図書館所蔵
      1959(昭和34)年頃に作成された沖縄本島全域の2万5000分の1の地形図で、一部欠損しています。この時代の地図作成の目的は、言うまでもなく、基地建設と沖縄統治です。沖縄県立図書館所蔵です。
      参考:『沖縄県下の米軍作製地図について』島袋伸三、『琉球・沖縄の地図展』沖縄県立博物館・美術館
    • 1973年頃 日本復帰

      昭和48年頃/国土地理院 旧版地図
      1973(昭和48)年頃の2万5000分の1の地形図で、国土地理院所蔵です。沖縄が日本に復帰したのは、1972(昭和47)年。復帰直後は、「旧琉球政府刊行の地形図を応急的に複製したもの」だったと言います。その後、修正測図が実施されて73年と74年に、復帰後初めての地形図が刊行されたということです。
      参考:『琉球・沖縄の地図展』沖縄県立博物館・美術館
    • 2000年頃 平成初期

      平成12年頃/国土地理院 旧版地図
      1995(平成7)年~2002(平成12)年にかけて測量したものをつなげた2万5000分の1の地形図で、国土地理院の所蔵です。日本復帰後の地図と重ねてみると、米軍施設が多く残っていることが見て取れます。
    • 現代地図

      国土地理院、オープンストリートマップ(OSM)

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      ※国土地理院 旧版地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分1地形図及び2万5千分1地形図を複製したものである。
      (承認番号 平29情複、第1476号)

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