★2021修正14 タイムトラベル沖縄市

学校でツナガルマップ

はじめに

  • ラボサイトの概要と主旨

    当時、県立コザ高校の社会科教諭であった奥間建先生の授業で行われた13のチームの地域学習の成果を統合したサイトです。
    図書館で自分たちが暮らす街がどんな歴史を重ねてきたのかを調べ、また何の不思議にも思わなかった地名の由来を改めて知り、家族や学校の先輩にも昔の自分たちの街について話を聞いたりして進めたものです。
    2学期になるとパソコン教室でツナガルマップのシステムを活用して、調べた内容をWEBサイト化し、紙の成果報告書とWEBでの成果を発表しました。 授業には、沖縄県立博物館・美術館の主任学芸員や沖縄県立芸術大学の講師の方も参画し、地域活動をされている方も授業のゲストに呼ばれました。 この授業の成果は、報告書やこのWEBサイトですが、最大の成果は以下にあります。
    沖縄の多くの高校生は卒業すると、進学するにせよ就職するにせよ、沖縄を一旦離れて本土に行きます。
    ひとりの生徒が「この授業をやって、本土に行っても、自分たち沖縄市の話をできるようになった」と。

    ラボ主宰者(以下の13ラボ・チーム)

    • ◎コザ高校 第72期生 チームカノン

      ⇒ラボメンバー:仲田 一心、玉城 舞希、伊波 京華、新屋 花音
    • ◎コザ高校 第72期生 突撃!!コザ探検隊

      ⇒ラボメンバー:知念 新、東江 良樹、金城 愛也
    • ◎コザ高校 第72期生 てっちゃん

      ⇒ラボメンバー:伊佐 真怜、波平 虎之介、仲嶺 朝彰
    • ◎コザ高校 第72期生 AGOOOS

      ⇒ラボメンバー:山下 恵以、仲座 汐音、仲舛伊 智子
    • ◎コザ高校 第72期生 TEAM KOZA

      ⇒ラボメンバー:金城 涼花、新城 杏奈、島袋 莉子、大屋 リサ
    • ◎コザ高校 第72期生 TEAM.A

      ⇒ラボメンバー:新垣 雅、大城 妃奈乃、城間 季里、當山 妃菜
    • ◎コザ高校 第72期生 pikumin

      ⇒ラボメンバー:眞榮城 依玖実、友利 和実、當真 美希、諸見里 玲奈、久髙 綾華
    • ◎コザ高校 第72期生 TSUBU TSUBU

      ⇒ラボメンバー:上原 真子、澤岻 結花、照屋 美月、糸澤 クリスト 茉莉音
    • ◎コザ高校 第72期生 KOZA AREA

      ⇒ラボメンバー:澤岻 泰貴、與古田 祐志、仲里 勇太朗、島袋 竜豪、管 鯨人
    • ◎コザ高校 第72期生 チーム I

      ⇒ラボメンバー:湧田 かのん、座間味 愛、喜納 夏鈴、上原 梨瑚、具志堅 理美
    • ◎コザ高校 第72期生 50TA

      ⇒ラボメンバー:島田 拓海、島袋 充暉、玉城 之人
    • ◎コザ高校 第72期生 チーム遺跡

      ⇒ラボメンバー:中村祥也、幸島 誠弥、仲宗根 千隼、豊長 修平、渡久地 修嗣
    • ◎コザ高校 第72期生 チームタカラ

      ⇒ラボメンバー:幸喜 大樹、砂川 康太、稲福 大嬉、高良 透矢

    地図上のポイントの著作権等について

    本ラボ・サイトにおけるテキスト、画像等はそれぞれのコンテンツに注釈の無い限りはラボの主宰者にあります。

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    地図上のポイントアイコンは、そのコンテンツ内容によって区別されています。

    歴史的背景を持つ地点もしくは過去に起こった事柄、遺跡など
    現在についての記述や比較的新しい出来事など
    未来の出来事の記述や未来に完成する施設など
    地点が広範なものや道路・鉄道など距離のあるもの、また曖昧な地点

    地図の選択について

    ポイントしている地図は、ポイント地点の出来事の時期やその由来になるべく近い時代地図を選択しています。また、古い地図の描かれた範囲外がポイント地点の場合は、現代地図やその他の時代地図を選択している場合があります。

  • マップについて

    本ラボ・サイトでは、下記地図の全部または一部を使用しています。

    • 1640年頃 王朝初期

      正保年間琉球図
      ※島津領国絵図 正保琉球国悪鬼納島絵図写 東京大学史料編纂所所蔵
    • 1770年頃 王朝中期

      琉球国之図+琉球国惣絵図(間切集成図) 合成版
      ※琉球国之図(薩摩藩調製琉球図) 沖縄県立図書館所蔵
      ※琉球国惣絵図(間切集成図) 沖縄県立博物館・美術館所蔵
    • 1920年頃 大正後期

      大正後期/国土地理院 旧版地図
    • 1959年頃 米国統治

      米軍作成地図
      ※米軍作成地図 沖縄県立図書館所蔵
    • 1973年頃 日本復帰

      昭和48年頃/国土地理院 旧版地図
    • 2000年頃 平成初期

      平成12年頃/国土地理院 旧版地図
    • 現代地図

      国土地理院、オープンストリートマップ(OSM)

      ※本ラボ・サイトでは、上記地図の全部または一部を使用しています。
      ※国土地理院 旧版地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の5万分1地形図及び2万5千分1地形図を複製したものである。
      (承認番号 平29情複、 第1476号)

    高校生たちが育った背景について

    下記の沖縄市の歴史コンテンツは、沖縄市観光ポータルサイト【KOZA WEB】を引用させていただきました。*一部加筆。

    明治の時代になってから/大和世

    1871年(明治4年)、明治政府が施行した廃藩置県よって琉球藩は沖縄県となります。沖縄市の前身である越来間切と美里間切は、1908年(明治41年)の沖縄県及島嶼町村制の施行によってそれぞれ越来村、美里村と名称を変更。1945年3月からの壮絶を極めた沖縄戦では、この沖縄市では、当時2万人を数えた人口の3分の1にあたる5300人が犠牲となりました。県全体では4人の1人の犠牲者の割合からしても、沖縄市の壮絶さがうかがえます。

    戦後の米国統治/アメリカ世

    沖縄戦終結後の1945年(昭和20年)9月には、難民収容所が設置された市町村を中心に急激に人口が増えた地域に市制が敷かれ、越来村が胡差(こざ)市となり、美里・具志川一帯が統轄されて前原市となりました。翌年には市制が解かれ、再び越来村、美里村に戻ります。1956年(昭和31年)6月、越来村はコザ村(コザそん)に改称、同年7月に市へと昇格しコザ市が誕生しました。

    隣接する嘉手納には米軍基地が建設され、米軍人を対象とした商業や娯楽サービスが次々と生まれ、コザ市の経済は飛躍的な発展を遂げます。アメリカがジャズの全盛期を迎えていたことから、アメリカ人客で賑わうコザでもジャズバンドの需要が高まり、音楽の街として歩き出すことになります。1960年代にはロックが流行、アメリカ人を相手に演奏することで沖縄出身のミュージシャンらの腕が磨かれ、「コンディショングリーン」や「紫」「キャナビス」「メデューサ」といった数々の有名バンドが輩出されました。同時期には、「芭蕉布」「ゆうなの花」「ふるさとの雨」などの名曲を残した作曲家・普久原恒勇(ふくはらつねお)氏がコザ市を中心に活躍。その人気は衰えることなく、当時の楽曲は今でも「普久原メロディー」として親しまれています。戦後の沖縄で生き抜くためにアメリカ文化を受け入れつつ、沖縄独自の文化も大切に守り抜いたことから、異文化が混ざり合った「チャンプルー文化」が育まれたと言えるでしょう。

    エイサーの街と呼ばれるようになった経緯も、米軍基地との無関係ではありませんでした。軍用地を一括買い上げするという「プライス勧告」に抗う「島ぐるみ闘争」のあったのが1956年。この年が、沖縄全島エイサー祭りの前身である「全島エイサーコンクール」が初めて開催された年となっています。戦後、基地依存の商業都市として発展してきたコザ市でしたが、「島ぐるみ闘争」への制裁として米国民政府が「オフ・リミッツ(米軍人・軍属・家族の民間地域への出入りを禁ずる規制)」を施行すると、商工業者は大きなダメージを受けました。戦後復興のシンボルでもあったエイサーが、青年人口の多かったコザ市で盛んに踊られていたことから、「エイサーで元気を取り戻そう」という気運が高まり、コンクール開催に至ったと言われています。コンクール開催を境に、コザ市ではより一層エイサーが踊られるようになったのです。

    1970年(昭和45年)、糸満女性れき殺事件の起こった年の12月20日、長期に渡る人権無視の米国統治への反発から、米軍車両焼打ち事件「コザ暴動」が発生。沖縄人の人権拡大や復帰運動に大きな影響を与えます。ベトナム戦争が長期化の様相を呈し始めたこの頃、反戦ソングを中心としたフォークソングが流行、コザ市出身の佐渡山豊氏が「沖縄フォーク村」を結成し、全国区のフォークシンガーとして活躍しました。1972年(昭和47年)、沖縄県は27年間の米国統治に終わりを告げ、日本復帰を迎えます。1974年(昭和49年)4月には、コザ市は美里村と合併して「沖縄市」となりました。復帰後も、経済の極端な基地依存からの脱却を目指し、「国際文化観光都市」を宣言、社会資本整備や商店街の近代化など、様々な施策を行いました。

    復帰後/沖縄世・うちなーゆ

    1990年代に入ると沖縄市出身の照屋林賢(てるやりんけん)率いる「りんけんバンド」が沖縄民謡の知名度を全国区に引き上げ、民謡歌手・知名定男がプロデュースした「ネーネーズ」がデビューし、同市を中心に活躍しました。2003年には同市出身のメンバーで結成されたバンド「ORANGE RANGE(オレンジレンジ)」がメジャーデビューするなど、現在も数多くのアーティストを生み出し続けています。

    沖縄市には今も数多くのライブハウスや民謡酒場があり、また「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」をはじめ様々な音楽祭が開かれるなど、まさに音楽のメッカとして栄えています。2006年、沖縄市に古くから根付く音楽文化によって町おこしを行う「ミュージックタウン構想」が実現へ向けて動き始め、翌年には構想実現の核となる施設「コザミュージックタウン・音市場」がオープンしました。観光施設としてだけではなく、次世代の音楽業界を担う人材育成の役割も担うなど、注目を集めています。

    システム運用・著作権等

    本ラボ・サイトのWebシステムの管理・運用・システム著作権は株式会社バリューリソース・デザインです。新たなサイト構築やシステム利用などは下記よりお問い合わせください。

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    ツナガルマップについて

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